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立野団地(二葉1丁目) 2004.7.7
2歳〜小学校6年まで住んでいた。
とにかく思い出はつきないところ。
今でも毎日浦賀駅まで歩くのに通っている場所だが、今日は特別な思いで歩いてみた。
区切り線

リバーストーンから歩き始めて、
防大の坂をようやく上がってきた。
左へ行くと防衛大学。右へ立野団地へ。 振り返るといつものように猿島が見える。
あいかわらず狭い道。
今、京急はミニバスを運行しているが、
以前は大型がそのまま入ってきていた。
もっと前はボンネット式のバス。
かすかな記憶がある。
防大の坂へ登る階段。
防大生はここを平気で登ったり下りたりしていた。
たかちゃんの家方面。
立野は狭い路地がいっぱい。
遊び場兼用だった。
立野の難所。
のぼり、下りでカーブ。
車が必ずつっかえる場所。
母方のおじさんの家前。
というか、おじいさん、おばあさんの家。
共働きの父母だったので、自宅にいるより
ここにいるほうが多かった。
その前の坂。
その上は小学校の頃はまだ空き地だった。
銀玉鉄砲を持って拳銃ごっこの最高の遊び場。
おじさん宅
以前は平屋だったなあ。

前の道路が舗装されずに
雨の日は轍が大きくなったりしていた。
立野の小学生は必ず世話になった場所。
駄菓子屋さん「かどや」の跡地。
10円玉をにぎりしめて毎日通った。
立野商店街
前方の道は今でも毎朝通る「切通」
今は静かになってしまった商店街だけど、
夕方になると近所のおばさんたちでにぎやかだった。
二つの米屋さん。
「つるや」と「まるも」
「まるも」はコンビニになってしまった。
市営住宅そばの、今は歩道。
昔はどぶがそのままで、歩く場所ではなかった。
けっこう大きい「カニ」がいたよなあ。
立野市営住宅
いよいよ我が家のあった所が近くなる。
なんともローカルなバス停の名前だと思った。
「市営住宅前」次は「商店街」
どこの町にもありそうだもんね。
さあ、いよいよ我が家、の跡地。
左階段付近手前にあった。
そう、もうすでに何年も前に造成されてしまい、
その場所さえ特定できない。
右は「早稲田団地」への坂。

区切り線

子供の頃の思い出は?と、もし聞かれれば、迷わずここ立野に住んでいた頃のことを話すと思う。
幼稚園は自宅に帰らず、祖父の家に直行。
10円をもらって「かどや」へ。 ひも付きの飴玉やら、三角のくじやら、毎日の楽しみだった。

小学校に上がってからは、家に帰るやカバンはほっぽり出して、
自転車に乗り、友達の家に行ったり、立野の中を走り回っていた。
それにあきると家の庭で相撲をとったり、公園でベーごまをしたり、
キャッチボールをしたりと、毎日遊ぶことがいっぱいあった。


狭い団地の中だけど、今日は、歩くたびに誰々さんちはこんなになってしまったとか、
友達の家の前を何軒も通っては顔を思い出していた。

僕にとって、立野は近くにある遠いふるさと。


区切り線

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