MENU
「たっちん通信」をリニューアル | 2001.5.2(WED) |
「文章表現のむずかしさ」 | 2001.5.16(WED) |
長い平和への道 | 2001.9.17(MON) |
2002年に出会いを | 2002.1.8(WED) |
新しい仲間 | 2003.2.19(WED) |
素敵な文章に出会った。 | 2003.2.26(WED) |
「たっちん通信」をリニューアル 2001.5.2(WED)
念願のホームページビルダーを買って、毎日睡眠不足と戦いながらの製作。
もっと凝ったページにしようかな、と思ったけど、性格的にそこまで追求せず。
とりあえず、ある材料を使ってビシバシ作ってようやくここまできました。
「たっちん通信」のそもそも作る動機は何だったかをちょっと書いておこうと思います。
パソコンを買って、会社でもそれこそパソコンがなくてはならない生活になってきました。
仕事でもオンラインショッピングの担当者としては、自分のホームページくらいなくてはダメだと。
でも、一番の理由は、20才くらいの頃は、それこそ毎日つるんでいたのが、
遠く離れてしまったり、会社勤めや結婚などで、
だんだんと会えなくなってきた普段会えない仲間に、
たっちんは「今、こんなことやってるよ。」とかを、伝えたかったのが本音。
そんなこんなで少しずつ、貯めておいた新しい企画。「最近、読んだ本」や「たっちんメール」などもアップ。
自分にとっても、「たっちん通信」がこれからの人生の履歴になりそうです。
それとみんなにもぜひ、ホームページを作ってもらいたいな!
むずかしく考えないで、簡単に作ろう!
格好いいホームページはいっぱいあるけど、そんなに凝ったのはいらないと思います。
「たっちん通信」も写真を撮って、それにコメントをつけるだけの単純なものです。
でも、そこにはその時、その時の思いが残ると思います。
ぜひお試しあれ!
「文章表現のむずかしさ」 2001.5.16(WED)
パソコンをやり始めてからはけっこう文章を書く(打つ)ようになりました。
それまでは手紙を書くといっても年賀状程度、年賀状も印刷してしまうと何にも書かない時が多かったです。
メールを打ったり、ホームページを作るなど、文章を作ることが頻繁になりました。(今、この文章も)
このこと自体は自分にとって非常にいいことだと思っています。
しかし、その時にむずかしいと思うのは、自分の頭の中で思っていることをいかに解かりやすく
文章に表現できるか、ということ。
どこかの誰からか、「俺の授業をちゃんと受けてなかったろ!」と声がしそうですが・・・。
言葉で表現する時は、人の目の前で話すのがほとんどですから、顔の表情やらで理解してもらえるところが多いでしょう。
文章はそれができない。
頭の中で考えていることを、いかに的確な語句に置き換えて書くかによってだいぶ左右されてしまいます。
どうしたら解りやすい文章が書けるか?
今、この文章も、書いては消し、書いては消しの状態です。
学生時代の作文。あの時の感じです。
今、思い出してきたのですが、文章を書くときにテーマを決めてから、
それに沿ってポイント、ポイントを書く「たんざく」方式。
思ったことをバラバラでいいから、たんざく1枚1枚に書いてみる。
そして、1枚のたんざくを完成させて、それをつないでいくやり方。
これは確か、中学時代の国語の某先生から教わったと思います。
そのようにつないでいくと文章もつくりやすいし、読み手にも伝わりやすくなると思います。
それといろんな本を読んでみて、いろいろな表現を知ること。
なかなかヒントになることが出てきた感じです。
これもこのような文章を書き始めてから出てきたことなので、
文章を作る、書くこともいいことだと思います。
今日は「文章表現のむずかしさ」がテーマでしたが、
書いていくうちに、その解決法を見つけられたようです。
長い平和への道 2001.9.17(MON)
2001年9月11日、アメリカ・ニューヨーク、ワシントンで悲惨なテロ事件がありました。未だ5000人以上の人が行方不明。
アメリカのブッシュ大統領は「戦争」という表現で犯人に報復すると言われていました。
今、僕はこの文章をかなりな勇気を持って書こうとしています。
なぜか? それはこれから書くことが今の世論とは少し違うからかもしれません。
「テロ」に対して、これは全く持って言い逃れのできない非情な犯罪です。
しかし、それに対して報復するやり方は本当に正しいのだろうか?
戦争になるということは、また人を傷つけあい、殺しあうことになる。そうなると平和とは何なのか?
平和のために戦争をする。しかしそのための犠牲者は出る。
簡単に犠牲者と言っても、その廻りには大切な家族がいます。
その人たちはそれでも平和が来たからと喜べるのでしょうか?
そんなことは絶対にないと思います。
短期的に戦争は平和を呼ぶかもしれませんが、しかし戦争はなくなってはいない。
歴史は繰り返し、証明しています。
本当の平和はこの地球上から戦争がなくなって初めて平和と呼べるのではないでしょうか。
そんなきれい事は理想であり、机上論だと思われてもいいです。
僕たちの寿命はせいぜい長く生きても40年ちょっとくらい。でも子供たちや、またその子供たちはなくならないのです。
今の日本は戦争放棄をして、戦争はないから実感が湧かない。しかし、いつそのような状態になるかわかりません。
そのようなことが起きないように、地球上から戦争というものをなくすという方向性で、発言、行動をとっていかなくてはと思うのです。
長い道のりです。しかし、ひとつがふたつ、みっつに積み重なることが大切ではないでしょうか。
今までは小さな力では何も出来ないし、自分の気持ちも伝えられなかった。
しかし、この文章は今、インターネットで世界中に流れています。
それを考えると、何もしないでいるより、このページを使って自分の気持ちを世界の人たちに伝えることが大切だと思い、書きました。
かなり頭の中で考えすぎて、文章にそれを表現できているかわかりませんが、
僕は人を傷つけることはしたくないし、傷つけられることも嫌いです。
それには平和で心に思いやりのある世界が必要だと思うのです。
今回のテロ事件の犠牲者の方たち、ご家族の方たちにこの文章を贈りたいと思います。
最後にこの文章を書く勇気をくれたKENさんに。ありがとうございます。
2002年に出会いを 2002.1.8(WED)
明けましておめでとうございます。
という言葉ももう遅きになってきましたが、正月気分から現実に引き戻されている方も多いのでは。
独り言を書くのも1年に4回くらいのペースになり、大したことも書きませんが、ちょっとお付き合いを。
昨年、暮れからこの「たっちん通信」に、二人の新しい出会いができました。
自分の満足で作っているホームページですが、そこはやっぱり見てくださる方がいるから力も入り、作る楽しみにもなります。
具体的にメールなど頂くと感激の一言。
人に話すときも「やっぱりインターネットはすごいよ!」なんて力説しちゃいます。
また、「たっちん通信」でも紹介している「リバーストーン」のマスターからも
「たっちん通信を見たっていう人がいたよ。」と教えてもらしました。
人間の生活、年が変わったからといって、生活も変わるわけではないのですが、
新しい出会いがあると何か、うれしいもの。
今年はそんな出会いを大切にしたいなと思います。
新しい出会いがあれば、旧友との出会いもありました。
20年前にアメリカへ遊学?に行ったときに寮で一緒だった友とメールのやり取りが始まりました。
年賀状だけの交換だけだったのが、また一段と近づける気がします。
そして横須賀から離れている友とも、昨年、暮れに久々に会うこともできました。
この1年、みんなが幸せに暮らせますように。
TACCHIN (^^ゞ
新しい仲間 2003.2.19(WED)
このページに書き込むのが1年ぶりとは、ちょっと自分でもびっくり。
最初にやろうとしていたことがなかなか進まないこともある。
今日は書きたいという気持ちがとっても強くて久しぶりにこのページに書こう!
たっちん通信も2月10日で満3歳になった。
その間、自分の趣味として、楽しみながらやってきたけど、
最近はたっちん通信を通じて、たくさんの新しい仲間が増えた。
これは当初、まったく考えてもいなかったことだった。
ホームページを作るということを楽しんできたのだが、
それを公開しても、見てもらえるのは親戚、身近な友人だけだと、思っていた。
しかし、先に書いたように、今では、インターネットを通じて、たくさんの(僕にとっては)人に出会い、
そして情報の交換までできるようになってきた。
これはすごい。
パソコンを買った当初は、会社の仕事の助けになればいい程度にしか考えていなかった。
でもインターネットをやる本当の意味は、大きく言うならば、全世界の人とコミュニケーションすること。
そんなの当たり前のことだと言われるかもしれないけど、
ようやく、ここにきてその本来のインターネットの目的が理解できるようになってきた気がする。
パソコンの前に座っているのは自分ひとりだけど、
インターネットのそこにはたくさんの仲間がいてくれて、
その仲間もいろいろな立場で頑張っている。
それを考えると、自分はひとりじゃないって。
身近にいる家族や友人のほかにもたくさんの仲間がいる。
人生にはいろいろなことがあるけれど、それが人生。
新しい仲間達と、これからはもっともっと新しいこと、何か小さいことでもいいからやっていけたらな、と思う。
素敵な文章に出会った。 2003.2.26(WED) |
2月22日(土)読売新聞・夕刊の「いぶにんぐスペシャル」に掲載された「堀越千秋」さんの文章に吸い込まれてしまった。
こういうところに載せていいのかわからないけど、全文を紹介したい。
小さい頃の思い出が、自分自身の中にもよみがえってきた感じだった。
「絵かきがゆく」
東京都文京区真砂小学校1年5組。
ぼくは泣いてばかりいました。休み時間に、タムラ君がズボンのベルトをしめ直していました。
それは随分長くて、何かの拍子にびゅんとしなって、そばで見ていたぼくの頬に当たりました。
あまりの痛さと不運に驚いてぼくは泣いていました。タムラ君はぼくの顔をのぞき込んで、
「ごめんね、ごめんね」
と言いました。
音楽の時間には、家から木琴を持参せねばなりません。ある雨の日、苦労して持って行ったぼくの木琴が、
音楽室で取り出したとたん、バラバラになって床にちらばりました。ぼくのだけ!ぼくは息をのみ、悲しくなってめめめと泣きました。
女のアカバネ先生は、
「そんなことぐらいで泣かなくてもいいじゃない」
とあきれました。
先だって、30数年ぶりに再会した、当時のクラスメートのコイズミ君にその思い出を話しますと、
「ああ!あれは君だったのか!木琴がこわれて泣いちゃった奴がいたって、覚えてるよお!」
と言いました。自分の化石に出会ったような気分でした。
コイズミ君は大人になってもくりくりした眼や礼儀正しい態度は昔のままです。
ですが、彼は言いました。
「ほりこし君はあのころ、色が白くて本当に可愛い少年だったよ。でも今は全くそのおもかげはないな」
算数の時間には、「けいすうき」という木の玉を使って足し算引き算をしました。何であんなものが必要だったのか、
今もわかりません。みんなそれを扱いかねて床に落としてしまいます。ハイヒールのヤマグチ先生はそのたびに探してひろって
くださいました。ぼくもひとつ落としてしまったので、「先生、落ちました」と言いました。すると先生は、
「自分で探せ!」
とどなりました。
ぼくは恐くてまっ青になりました。
図画工作の時間に、ヤマグチ先生は、「先生の顔を描きなさい」と言いました。ぼくは一生懸命に描いたので、
とてもそっくりで上出来だと思いました。みんなもかわるがわる見に来ました。
父兄会の時に母が学校へ行ったら、壁にぼくの絵も張り出されてあったそうです。
「でも、何でおまえは先生の黒眼を描かなかったんだい?白眼のままじゃないか!」
ぼくはびっくりしました。描き忘れたのでしょうか。まさか先生がそう見えたのだということはないと思いますが。
夏休みには、毎日、学校のプールへ通いました。近所のキムラ君と一緒です。
ある肌寒い日、ぼくは行きたくなかったのに母に送り出されました。キムラ君の家に迎えに行くと留守でした。
仕方なく一人で行くと、はたして1年生はたった一人、ぼくだけでした。心細くて、楽しくなかったです。それを母のせいにして、
家に戻ってからもずっとふくれていました。
やがて帰宅した父に、母はそのことを言いつけました。すると父は言いました。
「ほう!それは偉い!たった一人というのが偉いんだ」
たった一人。霧が晴れたように、ぼくの中にひとつの音楽が流れ出しました。それは今も鳴っています。
トピックス 鴨居・観音崎 スキー特集 たっちんの独り言 駅 最近読んだ本 今週のおすすめ 今日の1枚 |
たっちん通信トップページ このページの感想はこちらへ⇒たっちん通信掲示板 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||