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学校へ行こう! 2004.10.13
神奈川県の公開学校で母校、そして娘の通う鴨居中学校に行ってきた。
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学校へ行こう週間

神奈川県の企画で、開かれた学校づくりをより一層推進していくため、
10月12日から15日mでの1週間を「学校へ行こう週間」コミコミスクルール(コミュミティー&コミュニケーション)としています。
(案内文より)

我が母校であり、娘の通う学校、そして地域の学校として、
今、鴨居中学校はどんなふうになっているのか、今日、10月13日(水)に行ってきた。

平日、雨ということもあって、僕が行った時は来訪者は僕だけ。
受付なるものに、名前を書いて赤いリボンを胸につけていざ探検?に出発。
入口正面が職員室。
3時間目の授業時間中だったので、校内は静か。
A〜C棟まで順番に歩いて廻った。

A棟入口正面が職員室
並んで校長室、保健室と。
校長室は開けっぱなしになっていたので、ひょっとするとKENさんの同級生の勝校長に会えるかな?と思ったが、
残念ながら不在だった。

保健室には女の子が二人ほどいて、ちょっと具合が悪そうだった。
自分は保健室は縁がなかったなあ。

職員室の脇や校長室の前には、各クラブの表彰状がいっぱい飾られていた。
一番目に付いたのが、野球部の3位の表彰状。
なんてったって神奈川県春季大会、いわゆる県大(けんたい)の3位だ。
すげえ〜! 自分の頃は出る負けだったから野球部OBとしてはすごくうれしくなってしまった。

技術室に入ると、先生がいらして立ち話。
30年前の卒業生ですというと、随分変わったでしょう、と。
そう、僕の頃の技術室は鴨居小学校よりにあった木造校舎だったよなあ。
教えることも年々変わっていますとのこと。
今が何時間めだかわからなかったので、聞くと3時間目。
自分の娘は何をやっている時間かと思い、もらった時間割を見ると「保体」となっていた。
保健体育のことだろう。

A棟からB棟への渡り廊下を歩く。
げた箱が整然と置かれ、みんなの靴が並んでいた。
自分が通っていた当時は木造校舎のほうが多かった。
1年の時の思い出で廊下が板であったのをよく覚えている。
なぜ、覚えているかというと、廊下で友達とスキーのジャンプの真似をして遊んでいたので、
なぜか、板の間が目に焼き付いているのだ。札幌オリンピックの日の丸飛行隊の時だ。
キシキシと音をさせていた。

B棟の壁に生徒会の掲示板があった。
花ボラやユニセフへの募金のお礼、体育祭の決意表明みたいのが貼られていた。
※花ボラとは、花のボランティア活動(通称・花ボラ)のこと。全校生徒から参加者を募集し、
プランターの手入れや花のメンテナンスをするもの。

生徒会と言えば、自分は生徒会長をやっていた。
当時の恩師のKENさんに薦められたのがその立候補の理由だったかな?忘れてしまった。
ただ、そういうところに出たがる性格はあったと思う。
生徒会長としてはなんにもしなかったような気がする。
ただ、生徒集会でギターもって、みんなに「戦争を知らない子供達」ばかり歌っていたのを覚えている。
写真にも出ているが、他校との交流も盛んなようで、
馬堀中、大津中、桜台中などの学校紹介の張り紙が貼られていて感心した。

せっかくなので、娘のクラスの前に行くと残念ながら教室は空っぽ。
保健体育だった。
あとで聞いたら隣りの柔道室で受身の練習をしていたら、
お父さんが通って行って、何してんのかなあ?だったそうだ。

教室の前に自分達の勉強した地元の話を模造紙に発表してあった。
娘は鴨居の西徳寺にまつわる話のようで、
和田川の名前の由来にもなっている三浦一族の豪族の「和田義盛」について書いてあった。
こういう地元に密着した勉強は大変良いと思う。
自分が住んでいる町の歴史などは教科書には出てこないし、
それについて勉強するには地元の人と話をしなくてはわからないから、
地元の人とのコミュニケーションも取れる。
どんどん続けて欲しいと思った。

途中、廊下に張り紙があったのが、今の時代を反映しているなと思った。
写真にもあるが、
「あなたには守れていますか?」の言葉に添えて、
携帯、ウォークマン、お菓子の絵が描かれていた。
これはまさに時代の特徴だな。

いろいろな専門の教室があった。
音楽室は2つ。柔道室。卓球室。LL教室。相談室などなど。
ひとつには少子化で生徒数が減り、教室が余っているからいろいろな利用ができるからであろう。
それと上ノ台中学ができているから。
現在の生徒数416人。(2004年5月現在)
各階にクラスの教室が2つくらいしかないから、廊下を歩いていてもシーンとしている感じ。
この辺も随分と違う気がした。


授業中だったので、教室の中は覗くのは出来なかったが、
体育館や音楽室の前では、いつの時代も変わらない子供達の歓声が聞こえてきた。
子供を得てして学校へ任せきりになりがちだが、
このような機会があれば、どんな様子なのか、親としても見られる良い機会だ。
学校の様子が少しでもわかれば、子供とのコミュニケーションの手段にもなる。
あまり口を出しすぎるのも問題だが、このような機会はどんどん作って欲しい。
そして出来る限り参加したい。
親としてではなく、地元民としても鴨居中学校はどんな学校なのかを知るのも良いと思う。

許されるならば、今度は授業参観もしてみたい。
先生と生徒との関係は、今はどんな風なのだろうか?
これは僕個人の思いだが、当時は先生も生徒も、鐘を鳴らせばカ〜ンと鳴り響いたような、そんな関係だった。
テレビとか新聞からだけの情報になりがちな今の学校のこと。
今回、この機会を持てて思ったのは、近くにある学校のことがなぜテレビとか
遠回りをして入るのだろう。
すぐそばに学校はあるのだから、直接、自分の目と耳で確かめたほうが良い。
そういう思いを強くした。
もっと学校へ行こう!

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学校へ行こう!写真のページ

神奈川新聞 2004年5月10日 飛翔 鴨居中学校のページ全文
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